長野シリーズ②ー鉄橋の復活!上田市内観光
すごく立派な赤鉄橋ですよね。見たときは思わず圧倒されました。
この赤い鉄橋は、上田鉄道別所線の上田駅~城下駅の間にある鉄橋、千曲川の上にかかっております。
この上を車両が通るということになります。
時間の関係で車両を見ることはできませんでしたが、赤い鉄橋を見ることが出来てよかったです。
実はこの赤い鉄橋は、特別な意味を持っている鉄橋であります。
その理由は後程紹介ということにしましょう。
〇 長野旅(の一部)(2021.7.23)
今回は7月に行った長野の旅の一部を切り取って紹介します。
意外に利用者いましたね。ここからJR小海線に乗車して小諸駅に向かいます。
面白いことに佐久平駅は新幹線が地上、在来線が高架となっています。
ここでアイスを食べながら列車を待ちます。
小諸駅でしっかりと鉄印をもらってきました。
小諸駅で下車したのは実は3回目かな?長野県の旅行のなかでかなりお世話になっている場所です。
1回目はしなの鉄道⇒小海線乗り換えで、2回目は本格的な小諸観光で寄りました。
小諸には懐古園という場所があります。詳しくはまた今度紹介しようと思います。
いかにも昔のJR車両といえる列車で上田に向かいます。
(上田駅の写真がなぜかなかった…。)
上田の有名なものといえばなんでしょう?
真っ先に思い浮かぶのは真田幸村ではないでしょうか?
長野の有名な武士といえば挙がる人ですね。人気のある人でもあります。
駅から徒歩10分くらいのところに上田城址があります。
そこへお詣りしつつ、城跡をめぐることができます。
駅から歩いていくのに坂をのぼっていかないといけないので少々きついですが(笑)
上田城跡からは、上田の中心街そしてその先の山々をのぞむことができます。
方角は南のほうを向いています。
上田といえば挙がるものの一つとして他に、「上田からあげセンター」があります。
通称、からセンです。
からセンに行ったのは実はこのときでなく、2年前の9月です。今もそれほど変わっていないと思います。
元々この場所を知っていたわけではありませんが、私の同業者が結構進めてきましたので気になっていきました。この時は夕方でしたので夕ご飯にしていました。
正直、味は忘れてしまいましたが美味しかったですよ。
駅を出てすぐのところにありますので、一度寄ってみてほしいです。
では、ここから本題に行きましょう。
実は上田に来た目的は、ちゃんと上田城跡を見るためでした。(一度訪れたことありましたが、来たの夜だったので…)
しかし、上田駅について乗り換え案内を聞いたとき、ふとあることを思い出しました。
上田鉄道の鉄橋、どうなっているんだろう…。
あわてて予定を変えました。鉄橋見てその後に上田城に行くという計画にしました。
天気がよかったです。本当に赤い鉄橋と千曲川のコントラストが素晴らしかったです。
この鉄橋、今年の3月に完成されたものなのです。裏を返すと、3月までは鉄橋が存在していませんでした。
そう、もともとあった鉄橋は2019年の台風によって流されてしまいました。北陸新幹線(E7系)にも甚大な被害をもたらしたあの台風です。
それにより、約1年半の間、鉄橋がかかる上田~城下間は運転できない状態となっていました。
それが3月、ついに復活を遂げることとなったのです…!
まさに上田電鉄の復活のシンボルとなりました。
上田電鉄の終点は別所温泉。真田幸村の隠し湯もある温泉地です。
そこへの足もようやく便利になりました。
ということで、今回は上田市内の紹介でした。
行くときは全く気づけませんでしたが、台風からの復活のシンボルを見ることができてよかったです。
鹿児島シリーズ②ーJR指宿枕崎線の旅(指宿駅編)
前回のブログでは枕崎~西大山の紹介を行いました。
今回はその続きで指宿編です。
指宿と言えばまず思いつくものが、砂風呂です。
私は西大山でJR最南端駅を楽しんだ後、指宿駅に向かいました。
9:11 西大山発⇒9:29 指宿着
18分の乗車を経て指宿駅に到着です。
指宿枕崎線の中心駅の1つです。
鹿児島中央駅から発車する「特急 指宿のたまて箱号」の終着駅でもあり、ここから指宿観光を行う人が多いかと思います。
余談ですが、指宿へ行く特急列車の名前に「たまて箱」という名前がついている理由は、指宿に浦島太郎伝説があるからだと言われています。
指宿駅の駅前を見ると、見覚えのあるものがありました。そうです、竜宮城です。
指宿市の南にある「長崎鼻」ですが、そこはウミガメの産卵地になっているようです。そうです、子供にいじめられていた亀もウミガメです。そこから浦島太郎伝説がうまれたみたいです。
そして、浦島太郎は竜宮城で玉手箱をもらいましたが、それを開けてしまってじいさんになった…という話でしたね。
それが特急列車の名前の由来となっています。
長崎鼻はすみません、私は訪れていないのでこれ以上話すのはやめますね。
さて、指宿駅から砂むし会館までは歩いて15~20分ほどです。その間に汗流しそう…。
砂むしの存在は知っていましたが、経験したことは一度もないです。9日間の旅の中でもかなり楽しみにしていたものでもありました。
小屋みたいなところがありますが、その中で砂風呂を体験することができます。
料金は1,000円ぐらいだったかと思います。でも、入る価値はかなりありますよ。
何より、手ぶらで砂風呂を体験することができるということが良いですね。浴衣をレンタルして砂風呂に入ることができます。
ということで、浴衣を着て、砂風呂を体験してきました。
砂の上であおむけで寝たら、係りの人が砂をかけてくれます。温泉なので熱い(温かい)です。それが重いと感じるようになってくると、全身から汗をかきます。これが良いのですよね。砂をかけ終わるころには身動きがとれなくなります。その中で10分間そのままになります(10分間がちょうどよいぐらいみたいです)。
その後、砂を払ってもらい、そのまま温泉に入って体を洗い流します。
医学的にも効果がかなり効果があるみたいで、人気の温泉地となっています。実際、経験したことない温泉に入り、本当に気持ちよい経験をすることができました。
あの砂の重さにもう一度埋もれたいな…。
ところで、指宿市には、イーブイ系のポケモンのマンホールがありました。
から来ているみたいで、各地にイーブイ系のポケモンのマンホールがあるみたいです。もし指宿市に訪れた際は探してみてください。ちなみに、他にシャワーズを見かけましたが、残りは知りません(真顔)。
さて、いつもならこのぐらいで終わりますが、指宿編の観光は実はまだ続きます。
といっても、指宿市内で観光したわけではありませんが…。
指宿から北西方面に約25kmの方向に、「知覧」(南九州市)という町があります。鉄道で知覧に行くことができないので、公共交通機関で行く方法として指宿駅、または喜入駅から路線バスを使うということになります。
指宿駅から知覧までバスで約1時間、やや時間がかかりますが、それだけ行く価値があるのです。
◎ 知覧
ヘリみたいなものがあります。
写真の場所は、「知覧特攻平和会館」です。
知覧という場所は、第二次世界大戦のときに、特攻隊として敵隊に突撃するのに出撃した場所であります。ここから若い兵隊がヘリに乗って的の艦隊に突っ込むということになります。
そのような歴史があった…それについてもっと知りたいと思って知覧へ訪れました。
なぜ知覧なのか、沖縄に近い立地であることなど、様々な要因があって知覧が特攻隊の拠点となりました。
この中には、特攻隊として出撃した人の遺品、家族や友達、恋人等に残した手紙などが並べられてあります。
一体どんな心情で特攻したのか…その背景がよくわかる会館となっています。また、語り部による説明もあります。
それを聞くと、一気に心が痛くなります…。
日本に希望を期待して旅だった若者…。平和になることを願って散っていった若者…。それに比べて自分は何と優雅な生活を送ることができているのか。
もっと頑張っていかなければならないと思います。
そういえば私が訪れた同じ日に、中学生?高校生の集団が訪れていました。おそらく校外学習でしょう。彼らはどんな思いで学んだのだろう?事態の深刻さが分かっているのだろうか?もし、私が知覧について授業したところで高校生の心に届くのだろうか…?不安ですが、それでも伝える価値は十分にあるはずです。第二次世界大戦のところにきたら知覧についてやろうかな…。
ちなみに、この中で特攻隊の兵士は生活していたみたいです。
知覧を出たあと、喜入駅で降りてその地を後にしました。
そして鹿児島に戻り、その後は特急きりしま号に乗車して宮崎へ向かいました。
ということで2回に分けて指宿枕崎線の観光についての紹介でした。
その他にも見どころはたくさんありますので、ぜひ調べてみてください。
次回はまた、別の地域を取り上げたいと思います。
それでは。
鹿児島シリーズ①ーJR指宿枕崎線の旅(西大山駅編)
上の写真は、JR指宿枕崎線の中でもかなり有名な駅である西大山駅です。
写真の中に記載の通り、JR日本最南端にある駅として知られ、有名となっている場所になります。
お久しぶりです。けんけんです。
ブログ投稿を約4カ月ほどしておりませんでした。すみませんでした。
忙しくてブログの存在さえ忘れるときもありましたが、久しぶりに書きたくなりましたので、お盆で時間もあるということで書かせていただいております。
今回と次回でJR指宿枕崎線についての紹介をしていきたいと思います。
<JR指宿枕崎線>
・路線距離:87.6km
・所要時間は3時間前後、表定速度は30km/h前後
正直、鹿児島市から枕崎市に行くには、車やバスで行ったほうが1時間近く短縮となります。なので、よっぽどのことがない限りは電車で枕崎に行く人は少ないのかなと思います。本数も1日に6~7本ぐらいしかありません。
ですが、指宿枕崎線は面白いところがたくさんあります。
例えば、特急いぶすきのたまて箱号
私は乗車したことありませんが、鹿児島中央~指宿間を1日3往復分走っている特急列車となります。それに乗って指宿観光もよさそうです。
また、途中駅に喜入駅。なにやら、縁起のよさそうな駅名ですね
喜び入る。今は無人駅となってしまっていますが、訪れる方は多いということは聞いています。
このように見どころがあるJR指宿枕崎線。ここからは乗車体験記を交えてお伝えします。
◎枕崎駅(2021.3.18(木))
前日にとりあえず指宿枕崎線を完乗し、枕崎駅のすぐ近くにあるホテルで宿泊しました。
枕崎駅は日本の南の端にある駅として知られてる駅です。
枕崎駅を出発し、稚内駅を目指すという挑戦をする人もいるほどです(私は…そこまではいいかな…。)
遠いなあ…。でも、北海道まで線路が続いていると思うと、ロマンを感じますね。
時刻は7:30頃です。7:35発の列車に乗り込みます。
この列車を逃すと、次の列車は13:20と6時間近くも空いてしまいます。
くれぐれも寝坊には気をつけたいところですね。
乗車人数は5人というところですかね。そのほとんどが折り返しでしたね。どこで泊まっていたんだろう。
列車に揺られること約1時間。西大山駅に到着しました。
次の列車まで約35分あったので、駅を降りて周辺の散歩もしてみました。
西大山駅に黄色いポストが…。幸せの黄色いポストですね。実際に手紙などを投函することができるみたいです。それを事前に知っていたら何か手紙を書いて投函していたなぁ…。無念。
西大山駅、JR最南端の駅ということで降りる方はたくさんいらっしゃいます。
私もそれで降りたのですが、西大山駅周辺、JR最南端の駅であるなしに関わらず、景色がものすごくのどかで、かなり気持ちよかったです。
広がる田んぼの風景の中にずっしりとたっている山(開聞岳)がかなり味が出ています。
この風景を写真におさめようと西大山駅に訪れる方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
電信柱などといった、障害物が点在しない。それが良い雰囲気を醸し出しているのかもしれませんね。もっと散歩してみたかったですが、列車逃すと次は5時間後になりますので、ここでやめました。
ちなみに、私以外に西大山駅を降りた方は1人だけでした。その方はずっとホームの上にいらっしゃいましたね。
枕崎指宿線、簡単に行くことができる路線ではありませんが、魅力が伝わればぜひ一度は訪れてほしい路線です。
そして私が訪れたのは枕崎・西大山だけではありません。その続きは次回のブログで書こうと思います。
こちらは、JR指宿枕崎線の主要駅・指宿駅の隣にある山川駅です。
写真は、車内から撮影したものです。
山川駅は、JRの駅最南端の有人駅です。裏を返すと、山川駅の隣の大山駅~枕崎駅の17駅は全て無人駅ということです。
なお、前日に山川駅で途中下車しました。夜遅かったからか、駅員さんはいませんでしたね。
次回は指宿駅周辺の紹介です。
栃木シリーズ⑨ー関東屈指の秘境駅・男鹿高原駅
お久しぶりです。
3月に大学を卒業し、4月に社会人となって仕事をするようになってからかなり急激に忙しくなりました。そのため、4月はこれまで1度もブログを更新することができずにいました。以後、土曜日を中心にブログを更新していこうとは思いますが、月1~2回の更新になりそうということ、ご了承ください。
今回は秘境駅シリーズということで…!
こちらの駅は、野岩鉄道(会津鬼怒川線)の男鹿高原駅です。栃木県日光市にある駅であり、お隣は福島県の会津高原尾瀬口駅となっています。標高は750mほどです。
写真を見て分かる通り、いかにも何もなさそうな駅という様子ですね…。実際にそうなのですが(笑)。
男鹿高原駅は1面1線となっており、快速・特急列車のほとんどはこの駅を通過します。
そして、1日の平均利用者が1人を下回るという駅となっています。これが秘境駅と言われる由縁でありましょう。
ここが駅の入り口となっています。本当に近づいていかないと駅の場所が分かりません。え、そこが駅の入り口なの…?という感じです。
駅から歩いて7,8分ほど歩けば国道の道に出ることができます。飯田線の小和田駅と比べたら、まだまだ散策しやすい駅となっています。しかし、その間に店はおろか、家もありません。少し前までは利用していた高校生の人がいたようですが、現在はそのような人もいなくなってしまい、物好きの人しか利用しない状態となっているようです。私も男鹿高原駅で下車した時は、他に降りた人は誰もいませんでした。
国道には、男鹿高原駅の入り口を示す看板があります。
しかし、これ意味があるのだろうか…というところですね。確かに男鹿高原駅の前まで車を入れることは簡単ですので、送迎でその道へ行くということは考えられますが…。
ヘリの着地場所を表すマークが男鹿高原駅付近にありました。
ということで今回は栃木の秘境駅をものすごく簡単に紹介しました。
福島シリーズ③-駅からのアクセスが抜群によい渓谷・塔のへつり
今回は久々の福島シリーズをお送りしたいと思います。
これまでの福島シリーズは原発関連の話でしたが、今回は全く違う話をしようと思います。舞台は南会津です。
南会津下郷町にある、代表的な観光スポットの一つとなっています。綺麗な川の上に橋、そして断崖絶壁が見事な景色を生み出している様子です。川の名前は、阿賀川です。最寄り路線の会津鉄道のすぐそばを流れている川という解釈でよろしいかと思います。
ところで、塔のへつりという名前に疑問を持たれる方も多いと思います。
へつり=地元の言葉で「断崖」という意味らしいです。塔は、塔の形みたいな断崖が続いているということからきているみたいです。このようにして、「塔のへつり」という名前が名付けられたみたいです。
代表的な観光スポットの塔のへつりの最寄り駅は、会津鉄道の「塔のへつり駅」です。名前はそのままです。
塔のへつり駅から塔のへつりまでの所要時間は、5分くらいです。アクセスは抜群です。
しかし、観光スポット近くの駅とはいえ、駅の様子みてかなりびっくりしたことを今でも覚えています…。でも、降りて塔のへつりを見に行く方はたくさん見かけました。
断崖絶壁の様子がよく分かると思います。
観光時間はそんなにかかりません。駅へ降り、一巡して駅に戻るのに1時間ほどあれば十分かと思いますので、その時間を見込んでの滞在を予定するとよいと思います。
会津鉄道沿線はその他に見どころがたくさんあります。
・湯野上温泉駅⇒駅前の足湯、大内宿
・西若松駅⇒鶴ヶ城、飯盛山・東山温泉(鶴ヶ城or会津若松駅からバス)
その他にも見どころはたくさんです!
そして、東京方面から会津へ行く際は、「ゆったり会津フリーパス」が超おすすめです!!!!
なんと、有効期間が4日間もあり、日光・鬼怒川・会津地域をまるっと楽しむことが出来るのです!!!詳しくは、東武鉄道のHPを確認してください。
ということで、今回はここまでです。
<アクセス方法例>
浅草駅 6:30発 東武特急リバティ会津101号・会津田島行
会津田島駅 9:41着
塔のへつり駅 10:04着
東京シリーズ①ー東京の新観光名所・すみだリバーウォーク
緊急事態宣言が解除されたことにより、ようやく東京についてしゃべることができるようになったかのように思います。また感染者が増加傾向になってしまっているのでなかなか近づきにくい場所ではありますが、東京についても紹介するようにしていきたいと思います。
今回は、「すみだリバーウォーク」です。
実はこれ、開業してから1年もたっていません。開業したのは2020年の6月なので、最近開業されたものになります。
この中に「すみだリバーウォーク」があります。
写真員に写っているのは、東京スカイツリーや隅田川、そして東武鉄道(とうきょうスカイツリー~浅草間)です。この東武鉄道のすぐわきに、すみだリバーウォークがあります。すみだリバーウォークは、遊歩道となっており、無料通行することができます。ただし、空いている時間が限られていたと思います(深夜時間帯は通れなかったような…。)
浅草エリア、そしてスカイツリーエリア、どちらもかなり有名な観光地となっていますが、浅草⇔スカイツリーを移動するのに、歩きではなかなか行きづらいな…という位置関係でした。東武鉄道に150円払って移動するのが最もよい方法なのではと思います。
それがすみだリバーウォークの開業により、浅草からスカイツリーにかけて歩いていくという方法が浮上してきました。線路の横で鉄道の写真を撮ったり、隅田川の写真を撮ることができるというメリットもありますが、実はその先に、東京ミズマチというエリアがあります。ソラマチの水バージョンです。まだまだ店の数は少ないですが、そこで買い物等を楽しんだりしながらスカイツリーに向かう、という観光の仕方がこれから確立されていくのでは、と思います。
スタートはどちらかでもよいのですが、まずは浅草で観光をする、それからすみだリバーウォーク・東京ミズマチを楽しんでスカイツリー観光をする、それで半日~1日中、東京の下町観光を楽しむことができるのではと思います。暗い時間でも遅い時間でなければこのルートで回ることができるので、デートにかなり良いと思いますよ♪
個人的に、浅草・スカイツリー観光は夜のほうが好きです。スカイツリーのぼったときも夜でしたし、浅草寺に参拝するときも夜に行きました。それほど混んでいないので、混雑が嫌な方、コロナを気にしている方は、夜に行くのがおすすめです。
ここから間近に東武鉄道の列車を見ることができます。
浅草付近は特急列車がかなりの頻度で来ます。スペーシア・リバティ・りょうもうの写真を撮るのにおすすめの場所かもしれません。
橋の上をリバティが通っている+スカイツリーのセットです。写真好きの方は、これの100倍もよい写真をとることが出来ると思います(笑)。しかし、夜の隅田川の景色は本当に大好きです。大学から特急列車に乗って浅草まで乗るたびに、この景色を見に行っています。すみだリバーウォークが開業してからは必ずこの場所に立ち寄るようにしています。
橋の上はこんな感じです。
橋を渡るとき、意外に怖いんですよね…( ´∀` )
横の線路を通る列車が、構造上遅いスピードで通行していますがかなりの爆音をあげて通ります。そして揺れます。これが恐怖感を出している…そんな気がします。
それが両方向から来たら…と思うかもしれませんが、橋の上は交互通行になっています。両方向から一気に列車が通ることはできないので、そこは安心していい…かと思います(笑)。
橋の上から見る隅田川の景色も素晴らしかったです。何回も行きたいと思います。
近くには公園もあり、家族で楽しむことができます。老若男女楽しめる新・観光名所だと思います。ぜひ、立ち寄ってみてください。
ということで今回は、東京都の観光シリーズでした。
次回以降、ひょっとしたら先日行った九州シリーズにするかもしれませんし、しれないかもしれません。そこは考えておきます。
雑談(報告)ー超長距離通学、卒業しました
私事ですが、3月24日をもって大学を卒業しました。
つまり、船橋から宇都宮までの3時間半超え通学が終わったということを意味します。
ほっとするような、寂しいような…。気持ちはやや複雑ですね。あと1週間で社会人になって本格的に働くのですから。
自分で言うのもなんですが、本当にこの4年間頑張れたと思います。どこかしらで大問題が起きるのではと思いましたが、特にそんなこともなく、4年間を過ごすことが出来ました。
宇都宮の学生になることが決まったとき、通うことになるとは想像していませんでしたが、理論上では可能でしたので通学することにしました。
そのおかげで、サークルに入って活動することができず、1人で過ごすことも多かったです。けれど、その中でも様々な貴重な経験をこの大学生活の中で行うことができたと考えています。
一年生
1年生のときは、まずは超長距離通学生活に慣れることから始まりました。
週4日は4時半起きの生活…金曜日は本当に生きている心地がしないときもありました。でも、1つ1つの授業の課題などをこなし、単位を一つも落とすことなく学ぶことができました。
超長距離通学でいろいろ制約がかかってしまっているとはいえ、やはり大学内の講義だけではもの足りないわけです。なので、外での活動も行ける場所は行くようにしていました。1年生の時は足尾の植樹ボランティアと南相馬市の復興ボランティアに行き、それぞれの地域の現状について実際に見て学ぶことができました。
旅行も、大学生になってから宿泊を含めたものを行うようになりました。しかし、大学1年生のときはお金があったわけではありませんでしたので、特急・新幹線を使うことなく、宿泊もカプセルホテルで泊まり、4時半~0時過ぎまで電車に乗っているという、今では考えられない旅行もしていましたね…(笑)。それは羽越・仙台・石巻の旅行でしたね。
二年生
個人的には、最も外での活動が活発だった学年は2年生なのではないかと考えています。かつ、人との出会いが最も多かった学年でもあるのではないかと思っています。
その代表が、私のゼミの教授が開講している「里山のサスティナビリティを考える」という授業です。実は1年生の時にも受けてみたいと思っていましたが、慣れない通学を理由に敬遠していました。しかし、2年生になって少しゆとりを持つことができたので、参加することを決意しました。その選択肢は大正解だったと思っています。
茂木町を舞台として、農学部の学生とガイドブックを作ったり、棚田の動物を観察したり…。私は高校生のときまでずっと都会の中でしか学んだことがなかったので、農村地区の様子を特に学ぶことができたのではと思っています。そして、この授業から「持続性」について考えたいと思うようになっていました。それは、後の卒業論文にも大きく関わるようになったと思います。そして、その授業を通して知り合った農学部の学生とは今でも関わっています。そのうちの一人が、先日行った「宇都宮⇔日光往復100kmママチャリ」の同行者だったりもしました。また、その学生の知り合いとも友達になり、農学部の知り合いがめちゃくちゃいるという事態になっています(笑)。
また、持続性の関連で、地図に関連してSDGsを考える、ということの学習を東京でも行いました。他大学の学生の方と一緒に話し合いながら考えることができました。
旅行では、特急・新幹線を取り入れた旅を行うようになり、中国地方・四国地方、北東北を中心に行うことができました。
三・四年生
一番印象に残っている出来事は、ミヤラジへの出演ですかね。
鉄道好きの学生が集まって1時間弱、ラジオで話させていただきました。初めてのラジオということで、最初は緊張していましたが、すぐに緊張がとけて話したいことを放すことができ、満足して終えることができたということを今でも覚えています。
このラジオが、後に「宇都宮大学鉄道研究会(仮)」が設立されたきっかけにもなりました。
また、SDGsに関連し、各学部の代表の学生が集まってSDGs座談会が行われましたが、その座談会に参加させていただきました。各学部の学生がSDGsについてどのような活動を行っているか、どのように考えているか、本当に様々な考えをそこで学ぶことができたと思います。
四年生になり、新型コロナが広がってしまったことで通学を行うことができず、逆に4年生は羽を伸ばすことができたのではと思います。しかし、寂しさはありました。
この超長距離通学、本当に様々な人に支えられたからこそ行うことができたと思います。特に親には頭が下がりません。朝ごはんを作るのに3時には起きていたと思うと、その苦労を壊すことなんてできません。単位を落とさないで卒業することは絶対でありますし、長距離通学するのに値する学習をしなければならない、ということを念頭に置くようにしていました。授業中にうとうとしていた時ももちろんありました。しかし、長距離通学で疲れているだろうから仕方ない、という目では絶対に見られたくなかったのです。
もちろん、授業態度はパーフェクトといえるかというと、言えないと思います。全力を出せたかといえると、出せたとはいえないと思います。しかし、やれることはやった、投げ出すことをせずに真剣に取り組むことができたと思います。私の努力がどれくらい認められているかは分かりませんが、こうして単位を取得し、卒業できたことを嬉しく思います。
ここまでの学び、社会人になっても必ず生かしていきます。ありがとうございました。